田中角栄の政治家としての成功と挫折を一人称で語る小説「天才」を読みました

天才

この小説は田中角栄を批判する立場にあった石原慎太郎が一人称で描いた小説というこが、注目ポイントになります。

金スマだったと思いますが、この田中角栄について特集されていて、興味を持ったのでkindleで買って読みました。

 

金スマとこの「天才」を読む前までは田中角栄と言えば、お金のイメージだったり賄賂のイメージだったりしたというのはロッキード事件の影響でしょう。

ロッキード事件は以下のような事件です。

この事件は、国内航空大手の全日本空輸(全日空)の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自由民主党衆議院議員で田中角栄元内閣総理大臣が、1976年(昭和51年)7月27日に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕され、その前後に田中元首相以外にも佐藤孝行運輸政務次官や橋本登美三郎元運輸大臣2名の政治家が逮捕された。
さらに収賄、贈賄双方の立場となった全日空の若狭得治社長以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ暴力団やCIAと深い関係にあった児玉誉士夫や、児玉の友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治と相次いで逮捕者を出した。また、関係者の中から多数の不審死者が出るなど、第二次世界大戦後の日本の疑獄を代表する大事件となった。

このように読むとわかりずらいのですが、天才によればこのような整理になります。

石原慎太郎は田中角栄を一人称として、下記のように語ります。

「五億などという金は...俺が調達した選挙費用の中でははした金ともいえるものだ。...榎本(秘書)が受け取ったという五億という金の由来は丸紅の献金か、それともロッキード社からのものか、あるいはロッキードから十数億せしめたという児玉からの分け前なのか分かりもせぬまま、せまっている大切な選挙のためのどさくさの中で俺の事務所に入れられ、他の多額な金にまぎれて、(金庫番の)佐藤がてきぱきさばいたことに違いはない」

「要は...およそ三百億という金の中の、ただの五億という金の由来が問われたということなのだ」

お金を比率で捉えて些細なことだとは言えないと思いますが、wikipediaの説明文よりはいくらかわかりやすくなります。

このロッキード事件以外にも、色々な人が色々な事を言っているようです。

ここまで評価が分かれている政治家は少ないと思います。関連研究も盛んです。

一人称の小説として書かれているので、心に残るようなフレーズが多いのも特徴です。

田中角栄は人間的な魅力のあった人なんでしょうね。

 

権力や金という物は手ですくった水のようなもの 

田中角栄が大枚をはたいて支援した、かわいがった弟子の政治家たちが一人も見舞いに来なかったことから出た一文です。角栄が天下の時には、これでもかと人が集まっていたが衰退していくにつれ、人が去り、病に倒れた病床では一人ぼっちで看護師しか部屋には訪れず、家族すら来なかった状態だったそうです。この一文から、お金持ちや権力者に人が集まり、愛想を良くする傾向がある現実に気づきました。しかし、その人からお金や権力がなくなったら、どうなるだろうか?誰か、人が訪ねるだろうか?ということを考えさせられました。

 

つぎはこのフレーズです。

 

私の周りの物が崩れ去っていく様は、まるで波打ち際の砂の造形物が少しずつだが、確かにゆっくりゆっくりと崩れていくようだった。

 

田中角栄が天下だった所から、金と政治の癒着をつつかれ、またロッキード事件に巻き込まれて天下からゆっくりと引退までを表現した一文です。ゴッドファーザーの栄華と衰退に見られるように少しずつ権力者のもとから人が離れていく。誰と誰がいつ抜けたという表現では文を目で追うだけで終わってしまいますが、波打ち際の情景に例えられた所が分かりやすく素晴らしい表現だと思いました。

石原さんと言えば、ヨット、海というイメージがありますが、田中角栄を書くにあたり大好きな海を使っての表現は、この作品にかける情熱を感じました。

 

1人の権力者の物語として捉えてもエンターテイメントとして楽しめる作品になっていると思います。