私結婚できないんじゃなくてしないんですの原作本「スパルタ婚活塾」がアツかった

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ユーモアを忘れないエッセイスト水野敬也さん

私結婚できないんじゃなくてしないんですというドラマは私の愛読書である水野敬也さんのスパルタ婚活塾を原案にしているらしいです。(ドラマは今度見ます。)
過去にお笑いを分析してマニュアル化する大事業を成し遂げた水野さん。マニュアルを面白く書く技術を生かして恋愛関係のマニュアルも書いています。
それが男性目線で男性の恋愛について書いた「LOVE理論」と男性目線で女性の結婚について書いた「スパルタ婚活塾」であります。

それぞれの本はマニュアル本であるにも関わらず、ユーモアを交えた書き方によってマニュアルをエンターテイメントの域まで昇華させていると言っても過言ではないと思う。
ユーモアを交えている部分について、スパルタ婚活塾から抜粋しようと思います。

 

たとえ話が秀逸

もしお前が「別に結婚願望ないんですけど」などと言おうものなら、その瞬間に強烈なビンタを食らわせ、気絶したところを強引に玉の輿に乗せる。次にお前が目を覚ましたとき、バージンロードの上で正装した父親に引きずられ、お前の身柄は向井理似のイケメン御曹司に引き渡されることになるだろう。

 

スパルタ婚活塾生の中でそんなことを言う女がいようものなら、俺はその女の尻をニホンザルのように真っ赤になるまで竹刀で叩きながらこう叫ぶことになるだろう。 

 

もしこの話を聞いて「綺麗な女は得よね」などとほざく女がいるとしたら、俺はその女に対して団鬼六バリの折檻をしながらこう叫ばねばならない。 

 

このエクセルシートは、最低でも10万円以上の価値はあり、全世界に存在する愛也ファン1000万人に販売すれば一兆円の売上げがあり、来年のフォーブスの資産長者番付で孫と柳井を超えることができるだろう。

 

もしお前が理想の男と結ばれ子供が生まれたら、「ママ」や「パパ」という言葉より先にこの言葉を教えてやってほしい。天井に吊るしてクルクル回るタイプの玩具にこの言葉を書いた半紙をぶら下げていてほしい。この言葉を教え込んだインコを200羽程度街に放してほしい。それくらい、人生そのものを支配する「一言」なのである。 

 

この本が世に出回るや否や、俺は突然部屋に乱入してきた男たちに十字架を背負わされ、その十字架に磔にされた俺は脇腹を槍で貫かれ、肩まで伸びた長髪を振り乱し息果てるのだ。そしてその槍は、イエス・キリストの脇腹を刺した兵士の名を取ってロンギヌスの槍と呼ばれたように「タイガー・ウッズの槍」として後世語り継がれることになるだろう。

 

「浮気してもいいよ」と言われた男が考えることはただ一つ、「ごっつぁんです」である。

 

しかしこういうことを言うと「じゃあ女は笑いも取らず清純ぶってろってこと?」と言ってくる女が必ずいるが、そういう女の顔面をバーニャ・カウダのアンチョビソースにねじ込みながらこう言うことになるだろう。

 

そういう女に対しては顔面にニンニクを擦り込み、ぐつぐつに煮立ったオリーブオイルの中に投入して「アヒー女」にすることになるだろう。

 

そんな女に対して俺は、ヴィクトリアズシークレットのセクシーパンティを何十枚と口の中に突っ込み、そのうちの一枚は自分の頭にかぶりながらこう叫ぶことになるだろう。

 

これができて、リアクション検定3級。TOEICに換算すると400点前後だ。

 

もしお前がそんな台詞を口にしようものなら、即座にパンティをひっぺがし「ジョイナス!」と叫びながら右手にナスを握らせることになるだろう。

 

20歳前後の女たちの「イケメン信奉」は、それはそれは深いものがあり、その逆境において俺は、顔面のすべてを両手で隠しアゴのラインだけを見せて「ブラッド・ピット!」と叫ぶという荒技で凌いでいたのだ。

 

この話を聞いてお前は「人間関係を手段にするひどいやつだ」と思うかもしれないが、俺はそんなお前の顔面を、エッグスシングスのパンケーキの乗った皿からパンケーキというクッション取り除いた上で皿に叩きつけることになるだろう。

 

ここでもし手を挙げられない者は、全身に「愚者」というタトゥーを彫り、玉川上水に太宰治の同伴無しで飛び込んでもらうことになる。

 

俺がそんな男を見つけたら半殺しどころか、反省文として辞世の句を詠ませ、「すみません 単にヤリたい だけでした」を書き終えた瞬間に介錯することになるだろう。 

 

一説によると、結婚して女と一緒に住む部屋に入る怖さは、富士急ハイランドの「戦慄迷宮」を連続で28周するのと同程度と言われている。 

 

男の射精後のつらい状態は、女に置き換えると  完全に満腹なのに大皿一杯のスイーツを無理やり腹に押し込まれた挙句、体中の穴という穴に甘栗を詰め込まれるくらいつらいとされている。

 

お前には、額に「巨豚」と油性マジックで書き、棒に吊るして中華料理屋の前でぐるぐる回すことになる。

 

彼氏と家族との食事の約束を取り付け、その日の夜にお風呂に浸かりながら「これで結婚に向かって一歩前進したわ♡」などとリラックスしようものなら、俺はその風呂に侵入し、口に含んだ緑色のバスクリンを毒霧のようにお前の顔面に吹きかけることになるだろう。

どうだろうか、これらが私が気にいったユーモア部分を切り取ったものになります。思うにこれらのユーモアはユーモアとして切り出すということよりは真面目な記述の中の一つのアクセントとして加えられることによって面白さが倍増するものではないでしょうか。是非本筋の納得できる恋愛理論を学ぶでも面白さを追求したエッセイとして読むのもオススメです。